リハビリの上限日数設定に思う

先日,ネット散策をしていて,こんな記事に出くわした.
リハビリ中止は死の宣告

脳梗塞で倒れられ,4年間リハビリに励み
左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。
と言われる多田さんの文章だ.

昨年、別な病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50㍍は歩けたのに、立ち上がることすら難しくなった。身体機能はリハビリをちょっと怠ると瞬く間に低下することを思い知らされた。
「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。
この上限日数というのが何で決められたか私は知らない.
しかし多田さんのおっしゃるように,
この日数のせいで,切り捨てられてしまう患者さんが,
どれくらい出てくるのか...
本当に心労しい話である.

私の父も母も,最期は頭の中で出血し,
半年もしないうちに2人とも天に召されていってしまった.
だから,実際に多田さんのような戦いの場に,私は直面してはいない.
けれども,ああいう状態から少しでも早く社会復帰し,
その後の人生を,活き活きと生きていくために,
リハビリはとっても有効な手段だと,私は思う.

それを日数が来たから,もう明日からは医療ではみられません.
続けるならば自費になります.さて,どうします?
そんなことがどうしてできようか...

なんでもかんでも経済合理性を振りかざし,
ノアの箱舟的発想のごとく経済強者だけが生き残る.
上限設定しなければ医療費はどんどん高騰し,制度自体が破綻,
結局は全員がまともな医療を受けられなくなってしまう..
だから...
もし,そんな理由付けで,このような「改定」がなされたとしたならば,
とっても悲しいことである.

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この記事へのコメント

2006年06月21日 01:19
確かに何をもって上限日数が制限されたのか
不明です。
実際切り捨てざるをえない状況にも直面してきます。

しかし、現状では“リハビリすること”が目的になってる方もおられます。
リハビリとは生活を再建していくこと。そこにつなげるためのステップとして、病院でのリハビリはあります。
おそらくその対策として今回の改正の上限はあるのでしょうかね。
良いか悪いかは別として・・・
ゆう星☆
2006年06月21日 23:42
そうですね.本来の目的を忘れてしまってはね.
でも,こういう話って,世の中少なくないですよね.
たとえば仕事場でも「会議すること」自体が目的になって,問題解決できていなかったり...
おぬき
2006年06月25日 07:22
問題なのは、そういう「よくあること」にお金が絡んでいることなんですね。
医療費をびた一文出したくない厚生労働省の考えです。
例えば、その「会議すること」だけが目的になっている意味を為さない会議に国のお金を投じる、という視点に立てば仕方ないとは思います。
しかし、今署名をしている、特に患者さんたちにとっては死活問題ですし、こういう会議を「無駄」といって切り捨てる前にもっと大きな無駄や不正を正そうとせず、パイの小さなリハビリの対象者を切り捨てるやり方はどうなのかと思います。
これが認められ、声が挙がらないと、ますます国は図に乗ってどんどん医療費の国民負担を増やすでしょうね。
ゆう星☆
2006年06月25日 11:57
おぬきさん.私もそう思います.
> 意味を為さない会議に国のお金を投じる
これこそ税金のムダ遣いなのだが,多すぎる.

> 今署名をしている、特に患者さんたちにとっては死活問題ですし、こういう会議を「無駄」といって切り捨てる
ことは実際にされてしまうのかな?私は全然ムダとは思いません.死活問題に対し抗議するための話し合いは必要でしょ?

問題は,こういう制度を決める側が,あまりに現場と乖離しすぎているということ.自分の身内に対象者がいて,自分自身が当事者だったら...きっとその方が大きな声をあげてくれるのだろうけれども.
決めている側の特権を失くし,同じ立場,同じ目線で議論しないと,なにをすべきかは見えないでしょう.
これは国に限らず,我々会社組織とて同じことです.

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