自分の信ずる道

久しぶりに、私の過去の日記から...
1986.6.29

最近、本当に、やる前からできないのどうのって、
口ばっかりで、やらねー人間が多いんだよ。

俺、言ってやるよ、
ずっと、やって見せてやるよ。
誰も認めてくれない..
でも、あきらめるな、誰かは見てくれてるから、って。
みんなで言える時が来たら、一緒に言ってくれるから、って。

そうだよ、な。

俺は、俺の信ずる道を、ずーっと通してみせるぜ。
名刺の肩書きでしか人を見ない、
そんな世の中、
みんなで変えていこう。
そう、変えないといかんのだよ、なっ!

千春、おまえが死ぬまで歌い続けるなら、
俺は死ぬまでに、
いくつか、人を助けられる医療システムを作ってやるぜ。

な、いい仕事しようじゃない。
がんばろう!


これは、26年前の、私の心の叫びです。
その頃ファンだった松山千春のコンサートを聴いて、
ちょっと高揚して、この日記を書いています。

四半世紀経って、時代は変わったのか、
私は変わったのか...

同じことを、いまでも思っているのに、
ここからさほど脱却していない自分に、唖然としました。


この頃の私は、それまで必死にやってきた医療情報関連システム開発の仕事が1つの形となり、社内よりも外部からの評価を高く得ていた時です。
一方、所属組織の長が変わる直前で、上の多くの者が浮き足立っていた頃。

組織長が交替し、結局その時点で、私が入社して5年かけて形にしたものは、お蔵入りすることになりました。
その時点で、採算が取れないという理由で..。

新任の所属長は、いまのようなコンピュータ全盛の時代が来るなどとは、夢にも見ることができなかったのでしょうね。

このあと私は、同じような経験を何度か繰り返すことになります。
プロジェクトを立ち上げては人に渡し、
自分自身で成果をつかんだものは、あまりない気がします。
しかもやる事が早すぎるというか、
だいたい私は、10年先を見て自分の行動指針を決めて仕事し、
それが、たった2年ほどで評価されて、なかなか先に進めないという、
そんな経験です。

上を巻き込む、周りを巻き込む力が、
私に足りなかったのかもしれません。

しかし、やっぱり、このときも言っているんですね、
「人を助ける」と...
もう絶対にバーストラウマだな。
多胎児。
消え行く隣の命を救えず、
母の子宮の中で、ただ見ていることしかできなかった..

この罪意識があるから成幸できない...

いつか、このシーンをちゃんと想起し昇華したいと思います。

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